​2020年7月20日 (月)

​私、福井陽翔人は25歳を迎えました。

それも支えてくださったファンの方や関係者の方々のおかげだと思います。

本当にいつもありがとうございます。

ちょっとレアな昔話をどうぞ。

1995年に生まれ、小さな疑問でも解決しなくては仕方がなかった僕は周りの友達よりも

少し勉強ができたり、運動ができたりしました。

そんな僕を女手一つで育ててくれた母はたくさんの習い事をさせてくれました。

書道、ピアノ、ドラム、英会話、そろばん、パソコン。。。

卓球、ハンドボール、アイスホッケー。

いろいろなことを経験したくて、さらには経験させてくれて

それらは僕にとって未だに残る財産になりました。

高校に入り親元を離れ専門性の高い学校に進学した僕は

学校の中だけでなく色々なことに興味を持ち、

演劇、バンド、DJ、、、そんな中一番興味を持ったことがありました。

それが「大道芸」でした。

高校一年生から人前で一人でショーを始め、

最初は失敗もしたし、笑われたし、勉強はできなくなるし、部活にもいかなくなるし。

普通に見れば悪いことなのかもしれないけど、

あの頃の僕は大きなエンジンを積んだ船のように止まり方を知らなかった。

「学歴社会に逆流したい」、「本当に賢いやつが誰なのか分からせてやる」

そういえばこんなことを思ったのはこの頃だと思う。

どうなるか分からないけど一人でできるとこまでやりたい。

知り合いのパフォーマーとか誰もいなかった。

北海道はまさにパフォーマンス未開拓とも言える状態だった。

そこから三年後高校を辞めて札幌に来たらひょんなことから事務所に入った。

「北海道の若手No1」「なんでもできるオールラウンダー」「天才」

なんか色々なことをそこからは言われた。

気がついたら僕の周りにはプロのパフォーマーが増えてた。

当時18歳。年収650万。

なんか、何でもできる気がしてた。

 

21歳になって京都の女性と結婚した。

拠点を京都にした。

北海道のエンターテイメント居酒屋のプロデュースとか、

アーティストのライブの演出助手とか

なんかそういう仕事が増えた。年収が上がった。

22歳になって京都のアジア最高峰とも呼ばれるショーへ出られることになった。

ユニバの仕事をするようになった。

仕事の考えが合わず離婚した。

年収が上がった。

23歳

後輩が増えて求めることと答えることも難しさをよくわかった。

なんか色々しんどかった。

やりたいことだけやろうと思った。

お金は後からついてくる。

本気でやりたいことをやろう。

マジックバーでレギュラーとかやるようになる。

年収ががっつり下がった。

24歳

なんだか分からないけど

名前とか肩書きが一人歩きしていて

本当に目の前であえて話せる空間が愛おしくなってくる。

僕は僕のままでいい。

年収が安定した。

なんだかそんなこんなで生きてます。

最近はSNSしかやっていないから

長文を書くところがないのでここに書いておきます。

多分僕は一生エンターテイメントしかやらないと思う。

いや、できないと思う。

だからこそ下じゃなく上を見て、

やりたいことから目をそむけないで

前へ前へ。上へ上へ。行こうと思います。

今年何個か僕の意思を発表する機会が来ます。

お楽しみに。

HAPPY BIRTH DAY TO ME.

福井陽翔人

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